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てぃーだブログ › グリーフワークおきなわ(GWO) › 第11回例会報告 死別の悲しみが癒えるまで
大切な人との別れ(死別)は、つらく悲しい体験で、その苦悩ははかりしれません。心身に様々な変化・影響を及ぼし、日常生活に支障をきたすこともあります。グリーフワークおきなわは、「悲しみのうちなる豊かさを信じて」をテーマに、グリーケアを啓発し、悲しみや痛みをわかちあえる場として、設立されました。大切な人を亡くされた方が、深い悲しみに向き合いながらも、その人らしく生きていくことができるよう願いつつ、共に学び、理解し、支えあっていくことを目的としています。

第11回例会報告 死別の悲しみが癒えるまで

第11回例会報告
死別の悲しみが癒えるまで
~こすもすの会からの学び~

2012年6月3日(日) 琉球大学50周年記念館にて、「死別の悲しみが癒えるまで」と題して、栃木県「こすもすの会」代表の斎藤睦子氏(※)による講演会がもたれた。(「こすもすの会」は身近な人を亡くした者が集う自助グループである。同じ体験を持つ者同士が心の中を語り、互いに悲しみを分かち合い、喪失体験に意味を見出せるまで寄り添い支えあうことを目的に、月1回の集いを約20年間継続している)。今回、語る場「うりずん」を一般に向けて開くにあたり、今後GWOがどのように自助グループ立ち上げを支援していくべきかの示唆を得るために、斎藤氏をお招きして自助グループ立ち上げの経緯、継続の秘訣、及び、長年の経験を話して頂く運びとなった。
 斎藤氏自身、子どもを亡くした体験を持っておられる。当時の出来事を話すことは、医療を多少批判することになる上に、その当時に引き戻されるので、とても辛いことだと話された。日航ジャンボジェット機が墜落した1985年(昭和60年)、小学校6年生だった最愛の息子を医療事故により亡くし、両手をもぎ取られたような感覚の中で毎日泣き暮らしていた斎藤氏は、看護学校の専任職を辞するつもりだったという。しかし、「子供を亡くす辛さや痛みを伝えて欲しい」という学生たちからの要望に応え、自らの喪失体験を話していくうちに、辛くても悲しくてもこの経験を伝えることが自分の使命なのだと思えるようになった斎藤氏は、次第に自らの経験の意味付けが出来るようになり、教員を続けることが出来たと後述しておられた。

 その後、息子を亡くして3年が過ぎたある日、精神科医の平山正実先生との出会いがあり、「生と死について考えるワークショップ」に参加。平山正実先生は「うつ病で外来に訪れる患者のほとんどが身近な大切な人を亡くした経験がある方たちで、上手に悲嘆の過程を通れば、異常悲嘆はある程度防ぐことができる。」と強調され、「自助グループの存在は悲嘆の課程には欠かせない大きい存在」だとその必要性を提言された。斎藤氏は大切な人を亡くした遺族への自助グループの必要性を強く感じ、1年の準備期間を経た後、1991年に「こすもすの会」を設立する運びとなったのである。現在斎藤氏は、「こすもすの会」だけではなく、看護と介護の教育の場で、「看護の日記」という授業を通して体験を伝える“分かち合いの場”を持っている。

 約1時間30分の講演の中で、いろいろ大切なポイントがあったのでここで幾つか紹介しておきたい。まず、「こすもすの会」が目指すものとは、「愛する人を亡くした悲しみから立ち直るために、同じ経験をもつ者同士が心の内を語り合い、悲嘆の過程を共に歩む分かち合いを目指す」こと。その話の中で、「寄り添って共に歩む人たちの存在は大きい」という斎藤氏の言葉が、強く胸にひびいた。

次に、「こすもすの会」の「定例会」で大切にしていることとして4つのポイントが挙げられた。

1)継続性
「あそこにいけば、誰かがいてくれている」と思われるように休まずに継続する。

2)同質性
同じ体験者同士のグループに分ける(“悲しみ比べ”をしてしまうことがあるため、グループ分けをしている)但し、10名以下の少人数になってしまった時は了承を得て、一緒に話し合いをもっている)。

3)参加者の自主性の尊重
①いつ来ても、いつ来なくなってもいい。②どの程度、話すかは参加者が決め、語る時間は等しくもつ。中心者が、調整しながら、平等に話をさせるようにする。③話さなくても人の話を聞くだけでもいい。④共感しあった同志の仲間作り。

4)基本ルールの遵守
秘密厳守。経験を押し付けない。話す内容は本人が決める。他の参加者の話を聞くだけでもいい。

 わが「グリーフワークおきなわ」でも、「うりずん」という語る場を設けている。これは、かけがえのない方を亡くした方々が、悲しみや寂しさなどの様々な想いを率直に語り合い、気持ちを分かちあう集いである。これまでは会員限定の各月ごとの開催だったが、今年度から毎月第3日曜日に会員だけでなく一般の方々に向けて参加を呼びかけ始めている。「うりずん」の会は毎回、スタッフ3人が中心となって開催している。まだ、参加される方は多くは無いが、この働きは、必ず実を結ぶと信じている。今後も悲しみのうちなる豊かさを信じて、学んだことを活かせられるよう取り組んでいきたい。また、「こすもすの会」の課題として挙げられていた「継続していくための世話人の輩出」「新しい遺族の会の誕生」、「世話人同士の連携・信頼の持続」も、私たちGWOの今後の課題に通じるものがある。現在、「グリーフワークおきなわ」の役員は13名。それぞれのメンバーが仕事を持ちながらの毎回の活動への参加には、困難さも時にはある。GWOの活動に多くの方が関心を寄せて欲しいと願いつつ、継続した役員の輩出の必要性を感じる。また、役員同士の「連携と信頼」の下、同じ認識で対応することで、参加される方々に対しても一定の対処が出来ると思われる。GWOがサポートグループとしてますます発展することによって、参加者が自分に合った会を選択出来るくらい幾つかの遺族会の誕生を期待したくなる、そのような斎藤氏の講演であった。無論、よい気付きの場になったことは言うまでもない。
 講義の最後の言葉として「これからも、夫婦で、共に悲しみを分かちあった最良で最高のパートナーとして、支えあい、前向きに生きていこうと思っている。」と語られたのが印象的であった。斎藤氏、そして斎藤氏を支えるご主人様やスタッフの健康が支えられ、その働きが祝福されることを祈りたい。
 セミナーの終わりに「質疑応答」そして「新垣代表より挨拶」があり、プログラムは無事終了した。
 余談ではあるが、斎藤氏は、セミナーに来てくださった方々や私たちスタッフに栃木名産の御菓子や趣味の写真のお花のポストカードをお持ちくださったことに、斎藤氏の温かい心使いと人柄を感じた時間であった。この関わりを大切にしていきたい。
             (文責:畑澤・新垣)

※ 斎藤睦子 プロフィール:
1943年日光市生まれ。県衛生技術専門学院(現・県衛生福祉大学校)卒。病院勤務を経て32年間、看護教育に従事。身近な人を亡くした者の集い「こすもすの会」の世話人として、毎月の定例会のほか、フルタイムの電話相談や会報発行、そして他の世話人の方々と共に約2000人の方々のグリーフカウンセリングを続けてきた。病院ボランティア「うすゆき草」代表。

2012年10月24日 14:42
 
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